「何かをするということは、存在を作り出すことだ。」
と、サルトルは言っている。
自分のトラウマや他者と向き合う手段として写真をやっている部分があるが、
実際出来上がる映像としての新しい世界と、写真行為自体に巻き込まれる人々の心の世界に、
確かに存在を作り出しているのかもしれない。
どんな行為も、有形無形関係なく新しい世界を作り出すのならば、
常に世界は広がり続けているのであって、どこにでも宇宙と同じ構造が存在し、
境界線は妄想でしかないのではと思うのである。
でも境界線は確かに存在する。
熱を感じるから。
見ているようで見られている。
見られているようで見ている。
カメラをかまえて景色を切り取って見ていると、カメラをかまえた人を見ているものがいる。
常に様々な次元の関係性の中で生きている私。
その関係性が大事なんだ。