14.10.1

_DSF3038.2

「我々は人間性の創出のために不平等を必要とする。これは、正義の必要という我々の根本的な要求に相反する。」
劇作家のエドワード・ボンドの言葉だ。
最近、正義について考えていた。アンパンマンの作者のやなせたかしさんが、
「正義とは、人を喜ばせること。困っている人を助けること。大きなことをしようとかそういうことじゃない。」
と言っていた。アンパンマンは目の前の困っている人に、自分の一部を食べてもらい喜んでもらう。
バイキンマンが悪いことをしたら、こらしめるが決して殺したりはしない。
この世に悪が必要なことをわかっていて、その存在を認めつつバランスをとる。
映画「藁の盾」では、くずと呼ばれている人間を警察が守り抜くという善悪の彼岸が描かれている。
先天的にか後天的にか備わった人間性が、目の前の悪と対峙したときに揺れ動き、使命と道徳が戦い、
何が正しいかを根本から問い直させる。
自分の人間性が、目の前の人間を悪人だと判断しても、「人を喜ばせること、困っている人を助けること」
を実行すべきかどうかという問いは、難問だ。
100%の悪人も善人もいないというのが救いの言葉か。
人の善いところを見つけて、見つめるのは大切なことであり、人と人が許し合う前向きな方法だと思う。
結局のところ、人間のアイデンティティーを全て尊重していると、正義という立場も安定することはなく、
宙ぶらりんな概念でしかなくなる。
常に相反するものは球体のように一つなぎで、不安定で、流動的なダイナミズムだ。
正義を決めつけるのは難しいが、相手のことを一生懸命想うことが、どんな結果にしろ正義という傾向に近づいていくのではないだろうか。

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