category archive | 思想

14.12.14

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晴れた日、外を歩いていると洗濯物の香りが風に乗ってきた。
幼い頃に感じたあの安心感、それに似ていた。
静謐な熱が好きだ。
目の奥に蓄えている熱量、なにかの機会に晒されることで溢れ出す魂。
静かなるものほど、その波は高くうねる。
沈黙とは力だ。
町の匂いには、波乱が見え隠れする。

14.11.2

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「「生」に肉迫するには「生」を凝視しなければならず、
 「生」を凝視するには「生」から距離をとらなければならない。」
       
                         西部 邁

その生に対するオリジナルの距離感に、ピントをうまく合わせることができなければ、
鮮明な生の流動は見ることができない。

その大きなエネルギーを受け止める受光部のキャパシティ−は、日々の精進からしか広げる術はない。

14.10.1

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「我々は人間性の創出のために不平等を必要とする。これは、正義の必要という我々の根本的な要求に相反する。」
劇作家のエドワード・ボンドの言葉だ。
最近、正義について考えていた。アンパンマンの作者のやなせたかしさんが、
「正義とは、人を喜ばせること。困っている人を助けること。大きなことをしようとかそういうことじゃない。」
と言っていた。アンパンマンは目の前の困っている人に、自分の一部を食べてもらい喜んでもらう。
バイキンマンが悪いことをしたら、こらしめるが決して殺したりはしない。
この世に悪が必要なことをわかっていて、その存在を認めつつバランスをとる。
映画「藁の盾」では、くずと呼ばれている人間を警察が守り抜くという善悪の彼岸が描かれている。
先天的にか後天的にか備わった人間性が、目の前の悪と対峙したときに揺れ動き、使命と道徳が戦い、
何が正しいかを根本から問い直させる。
自分の人間性が、目の前の人間を悪人だと判断しても、「人を喜ばせること、困っている人を助けること」
を実行すべきかどうかという問いは、難問だ。
100%の悪人も善人もいないというのが救いの言葉か。
人の善いところを見つけて、見つめるのは大切なことであり、人と人が許し合う前向きな方法だと思う。
結局のところ、人間のアイデンティティーを全て尊重していると、正義という立場も安定することはなく、
宙ぶらりんな概念でしかなくなる。
常に相反するものは球体のように一つなぎで、不安定で、流動的なダイナミズムだ。
正義を決めつけるのは難しいが、相手のことを一生懸命想うことが、どんな結果にしろ正義という傾向に近づいていくのではないだろうか。

14.7.8

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膜のように何層にも重なりあっているのだろうか、泡のように大小様々な球体がひしめきあっているのだろうか、
10次元だろうか、11次元だろうか、目の前にあるものに思いを寄せていると、考えることを司る空間が光速を上回るスピードで広がっていく。

意志の具現化

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目の前にあるものは私の意志を具現化したものである。

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何の為に生きるのかではなく、生きる為に生命体として具現化してきた。
宇宙の不可視な部分にも、暗黒物質と呼ばれるエネルギーを内包したものがあるらしい。
そこには具現化する前の意志がひしめき合っているのだろうか。
99%が未知である。

14.4.29

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「鳥たちは何のために歌うのかと尋ねたりはしません。鳥たちは歌うために創造されたのであり、歌うことは彼らの喜びだからです。」
                                                     ケプラー

人間は何のために悩むのかを尋ねたりはしない。悩み自体に悩まされているのであり、人生を複雑にするきっかけがそこかしこに転がっているのである。

14.3.1

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湖について想う
群青色と黒のあいだをたゆたう
鼓動がする
呼吸はしていない
空気はいらないみたいだ
じゃあ何が必要だ
何を欲している
言葉じゃ具体的すぎる
色すら具体的にしてしまう
触れてみればいい
そっと触れてみればいい
そしたら何もかも
分かち合えるだろうか

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14.2.20

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海へ行きたくなるのは本能だろうか?
ここにも宇宙が。
拡大と収縮の狭間で闘っている。

12.25

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思いきりボールを投げたい。
そんなことができる場所はお金を払って借りるか郊外まで行かないとないからな。
この場所はこれをする為とか決められるといらっとする。
六本木のミッドタウンの芝生広場に初めて行った時に、ものすごくがっかりした記憶がある。
芝生が道で区切られてて狭苦しい。新宿御苑や代々木公園のようにかなりの広さがあった場合は、
道を歩く人と芝生に座っている人との距離があるから心理的にゆったりできるが、
ミッドタウンくらいの広さで区画分けすると窮屈に感じる。
いっそ、芝生の真ん中には道を通さずにフリーにしたほうが気持ちよかったのではないか。
都市にも、もう少しグレーゾーンというか、曖昧な場所が欲しい。
みんな逃げ場がなくて行き詰まってる気がする。
思い切り吐き出す場所が必要だ。
体全体で汗だくになって、濁った汗も淀んだストレスも全部吐き出せる場所が。
コンクリートとガラスの空間は便利だが、もういらないな。
ガウディの建築のように魂のこもったものは生まれないかな。
この前、ガウディの建築を見に行きたいと言ってた素敵な子がいた。映像からでも魂が引き寄せられるのだろう。
あの有機的で官能的なフォルム、執念というか、自然に対する崇拝というか、建築と自然との共存への戦いみたいなものを感じる。
混沌と何もかもが入り交じった東京は好きなんだが、経済活動に偏り過ぎない、東京という都市を俯瞰でゾーニングした未来に期待したいものだ。

12.4

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私は右斜めに行きたいのだ。
木もそっちの方向に伸びてるし。

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